「塩で歯を磨く」という行為は、歯磨き粉が普及する以前の時代から、世界各地で見られた民間療法の一つです。現代のように多種多様なオーラルケア製品がなかった頃、人々は身近にある自然の素材を利用して口腔衛生を保とうとしてきました。その中でも塩は、入手しやすく、殺菌効果や収斂効果(引き締め効果)があると信じられていたため、歯磨きの手段として用いられてきた歴史があります。古代エジプトや古代ローマの文献にも、塩やその他のハーブを使った口腔清掃の記述が見られると言われています。日本においても、江戸時代などには、塩や炭、あるいは房楊枝(ふさようじ:木の枝の先端を細かく砕いてブラシ状にしたもの)などが歯磨きに使われていました。塩で歯を磨くという習慣の背景には、いくつかの理由が考えられます。まず、塩には「浸透圧」による脱水作用があり、これが細菌の細胞膜にダメージを与え、増殖を抑制する効果、つまり「殺菌・抗菌効果」が期待されたと考えられます。また、塩には「収斂作用」があり、歯茎を引き締め、炎症を和らげる効果も信じられていました。歯茎が腫れたり出血したりする際に、塩水でうがいをしたり、塩で歯茎をマッサージしたりする習慣も、この収斂作用を期待して行われていたのかもしれません。さらに、塩の粒子による「研磨効果」も、歯の表面の汚れや着色を落とすのに役立つと考えられていた可能性があります。ザラザラとした塩の粒子で歯を擦ることで、物理的に汚れを除去しようという発想です。そして何よりも、塩は「手軽に入手できる安価な素材」であったことが、広く一般に普及した大きな理由でしょう。特別な道具や高価な材料を必要とせず、どこの家庭にもある塩を使えば、誰でも歯磨き(あるいはそれに類する行為)ができたのです。このように、塩で歯を磨くという習慣は、科学的な根拠が十分に確立されていなかった時代において、経験的にその効果が信じられ、受け継がれてきた生活の知恵の一つと言えるでしょう。しかし、現代の歯科医学の観点から見ると、塩での歯磨きにはいくつかの問題点も指摘されています。その効果とリスクについては、次の機会に詳しく見ていきましょう。
塩で歯磨きその歴史と背景