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昔は名医と呼ばれた歯科医院

私は、以前、虫歯を放置してしまい、激痛に襲われました。通いに良い小児矯正を探すなら神戸が3日ほど腫れは引かず、仕事にも終われ、どうにも耐えれなくなってしぶしぶ自宅から徒歩で行ける歯科医院に行く事にしました。その医院に決めた理由は、2つありました。私は、現在は、地元で仕事をしておりその医院は、腕がいいと聞いた事があったからです。それともう一つは、歯が腫れすぎて痛くて運転をしたくなかったからです。今里のこの歯医者は大阪東成区でも久しぶりに行ったその医院は、昔と変わらず、少し現代の歯科より古い感じがしました。その医院の先生は、昔と変わっていないようでした。だいたい何年かすると、息子などに変わっていたりするのですが、その歯科は、昔と変わらず、少し年はとったものの、まだまだ元気なおじいちゃん先生でした。この今里の歯医者は大阪東成区でもなかなかこの医院の昔の噂は、歯を抜かずに治療してくれるとの事でした。歯を大切にする事を厳しく指導しており、私の母親もわざわざ通うほどだったと記憶しております。ただ、先生が少し変り者の頑固者とゆう印象でした。そして、受付をして、いざ治療室へ呼ばれたのですが、受付のアンケートに私は痛いのが苦手なので、麻酔をして痛くないようにして下さいと書いていました。しかし、その先生は、根管治療を芦屋で見つけるには麻酔無しで、荒っぽく削り始めました。痛さのあまり、痛いと叫びました。すると先生は「痛いの」とでっかい声でめんどくさそうに言いました。そして、助手さんに「麻酔」とめんどくさそうに叫びました。そして、荒っぽく注射をグッとさし込みました。心臓はバクバクしていました。そして数分後、先生は再び、腫れた頬を手で抑えながら一気に削り始めました。麻酔が効いてなく、私は気絶するほどの痛みに襲われました。大の大人が涙するほどの痛みでした。そんな様子を見ても手を止める事なく、先生は「痛いわけないやろー麻酔しとるやろ」と言い放ちました。私は、口を閉じまし。すると、東京の根管治療医院なら怒鳴りながら、麻酔の追加を始めました。そして、痛がる私の腫れた頬を指で叩きながら「何処が痛いの、痛いと思ってるだけ」と怒鳴りました。そして、不機嫌になった先生は、開けた穴も閉じずに、助手に後始末を任せ、その日の治療を終了しました。あまりの痛さと恐怖で、もう二度といかぬ事を誓いました。昔は名医と呼ばれた医師に本当にがっかりさせられた出来事でした。